スタローンインマイハート

ここ最近は何をしてたんだ?と言われたら、「えー…と何だろう?と言うほどボンヤリした日々を送っておりました。

それは俺だけじゃないはずだ!きっと!!

そんな俺が脳死状態だったのは置いといて、人は誰しもふいにボンヤリする瞬間というのがあるもんですが、みなさんは何を思ってボンヤリするだろうか?

特に俺のようなおっさん世代になると、女、老後、税金、健康、保険、政治・・・とか色々考えるもんらしい(俺調べ)。



で、色々考えて、お先真っ暗になって意気消沈する、と。

しかしボンヤリ考えると暗くしかならない、ていうのは理解できないわけではない。

俺だって冷静に考えれば、お先真っ暗でしかないですよ。

むしろ何なら一般の人よりお先真っ暗だよ!と言わずにはいられない。

で、「よく生きているなあ」「何を考えて生きてるんだ・・・」「いっそ死ねばいいのに」なんて知り合いなんかに真顔で言われたりするわけだが、俺は何を考えていると言われればねえ・・・

そりゃあスタローンについてですよ、と。

自分の人生が思い通りにいかないとき。

そんな時にこそ、俺の頭の中にスタローンが現れる。

果たして、この逆境をスタローンならどうするか。

大体、根本の部分では一切解決はされないが、スタローンを頭に思い描くと、何だか知らないが気合が入る。

・・・というわけで、今日は苦し紛れにスタローンについてアレコレ思いついたもんを書いてみようと思います。

シルベスター・スタローン。

ここ日本でもロッキー、ランボー、元祖ハムの人でも御馴染みである。

アメリカンドリームの体現者としても知られる、この男。

どんな困難があっても諦めずに挑戦を続け、常に何かと闘う姿勢を俺たちに見せ魅了してくれた。

しかし悲しいかな、俺調べ(半径5m以内)によると、半裸で常にマシンガンをぶっ放す筋肉バカ、そういうイメージを抱く人が多いようだ。

彼氏が体を張り、叫び、敵を殺す。

あるいは殴る。

そういうイメージが。

確かに、そういう面もありますよ。

偏差値の低い10代位の俺が、そういう内容に大満足していた、むしろ求めていたのは否定できない。

だが、いざ年を取って改めて見返すと味わい深いのに気づいた。

イケイケの役柄もあるにはあるが、どこか悲しさと切なさと滑稽さが常に役柄にある・・・気がする。

これこそが当時のアクション俳優にはない、スタローンという俳優の味だったんじゃなかろうか、と。

スタローンが映画でさりげなく見せるイケてなさ、野暮ったさ

俺にも身に覚えがある!死ぬほど!と年を取ってから気づかされた

年を取ってからスタローン作品を見返すと以前とは違った意味で心に染みるのだった。

この際、スタローンインマイハート精神とでも名付けさせて頂きたいのだが、そういう瞬間があったなあ…と。

例えば・・・・

ファッションセンスが注意しづらい位に独特

片思いの女性と距離を詰めたくても「小鳥ってのは喋るビー玉みたいだ」下手くそなジョークしか言えない

仕事で失敗し、アイオブザタイガーを忘れ、とりあえず海辺を見つけて黒人と走る。

土砂降りの中、ハチマキを結ぶ

仕事が押し過ぎて早く帰りたくて、これまたランボーのように泣く

女と終電を逃がし、一緒のホテルに泊まることになっても暗殺者のスタローンのように床に寝る。

仕事が忙しく食生活が雑になり、コブラばりにピザを皮手袋をしたままハサミで切って食う。

コップランドのスタローンばりに他人の女に片思い。

極寒の雪山を素肌にセーターで乗り切る。

どうだろうか?

ちょっと・・・というか幾つか盛ってはいるが実生活で「俺、スタローンだなあ・・・」という瞬間が一度はあるのではないだろうか

「ありません」じゃないよ!

思い出せ!さあ!

すみません、取り乱しました。

冷静になろう。

最初から人生順調な野郎の自慢話には耳を傾ける気は一切しないが、一度辛酸を舐めた野郎の話には耳を傾けたくなるもんです。

自分の身を切って相手を楽しませる、とでもいおうか。

そもそもスタローンは俳優としての下積みが長く、決して順調ではなかった。

しかしそれをココで詳細を説明するのはズバリめんどくせえので、各自詳しくはwikipedia辺りで確認して頂きたい。

確認して頂いた前提で話を進めよう。

スタローン自身、くすぶった時期があったおかげか、日陰者、虐げられる人への視線が優しいのもスタローン作品の特徴の一つといえるのじゃなかろうか。

こいつはしょうもない奴だけど何だか憎めない。

自分の損得は置いといて助けたくなる。

特にドラマ性のあるスタローン作品には、(本人の役柄含め)しょうもない奴への優しい視点がある。

その倍以上に人が死にまくるのに目が行きがちだが、そういう優しい視点を教えてくれたのもスタローンな気がする。

言い換えれば漢気ともいえるが、これはこれでスタローンインマイハートと言えるのではないだろうか?

おかげさまで映画の中で発揮する無茶な漢気に何だか説得力があるのも頷ける

というか頷け!

しかし90~00年代、ファンにとってのスタローン氷河期、一時はスタローンも「あの人は今」状態であった。

何なら映画を諦めて生きるのも可能だったろう。

しかしスタローンは挑戦を辞めなかった。

『人生ほど重いパンチはない。だが決してパンチを恐れるな!自分を信じろ。じゃなきゃ自分の人生じゃなくなる。』と奮起

自ら監督・脚本・主演を務めた起死回生の「ロッキーザファイナル」「ランボー最後の戦場」の完結編を世に放つ。

制作に着手するニュースが世間を駆け巡った際、「嫌ねえ、年を取ってから、かつてのヒット作にすがるなんて・・・」と周りから冷や水を浴びせられたという。

実際、いくらスタローン好きの俺でも心配で仕方なかったですよ。

しかし彼氏はやってのけた。

かつてのヒット作に込められた鬼気迫るスタローンメッセージは観る者を圧倒、再びスクリーンに返り咲いた。

まさにロッキーザファイナルにおける「誰も父さんのことを笑ってない!」という息子の気分に俺もなったもんです。

これだけでも充分に驚いたもんだが、スタローンは更に肉密度5万%の甲子園映画「エクスペンダブルズ」を放つ。

監督・脚本・主演を務めだけに収まらず、作品の為にモノホンのタトゥーを自らビシバシ入れ、超高校級ならぬ、超高齢者級なバキバキの肉体に仕上げた。

その常軌を逸した覚悟…あるいは漢気を受け止め、今昔のアクションスターがスタローンの元へ集結、こちらも大ヒットに導いたのだった。

映画に憧れ、映画で世に見出されるのは、どんな俳優でもある話である。

そんな映画に一度は殺されたものの、再び映画によって蘇った男それがスタローンなのだ。

奇しくも、彼が言う「keep on punching」、それまで自ら演じた、死んでも死なない劇中のキャラクターを俺に思わせたのだった。

というわけで、現在70代になっても映画道を突き進むスタローン

親族の不幸があっても優先して見に行きたくなるわけだが、見に行く理由は、そこにスタローンがいるからである。

『スタローンの映画』を観るのではない。

『スタローンが映画』なのだ。

もう映画そのものがスタローンという位にシンクロしているからこそ、俺はスタローンは追いかけたくなる。

…うん!

自分でも何を言ってんだか分からなくなってきた!

ともあれ俺にとって憧れの男であるのは間違いない。

100%俺がスタローンになれないのは理解している。

だが何%かだけでもスタローンになることはできる。

えー何だ、近所のガキと走ったり、ジイちゃんやバアちゃんに優しくしたりとか。

長々と書いてしまったがスタローンに会っても恥じない男になろう』、というのが俺の人生の目標になっているのが理解して頂けただろうか?

仕事であれプライベートであれ、スタローンのように例え笑いものにされようとも、自分の信じる道を愚直に進める男』でありたいもんです。