泣き過ぎてグッタリしました。「フェアウェル」

お世話になってる映画宣伝会社さんから「こういうのも観ろよ‼︎」と言われた一本。

「余命わずかなおばあちゃんのために家族が着いた優しい嘘」というあらすじだけで見るのを躊躇した。

それは観たくないからではなくて、涙腺が爆破するのが目に見えていたからだ。

あらすじ

ニューヨークで暮らすビリーと家族は、ガンで余命3ヶ月と宣告された祖母ナイナイに最後に会うために中国へ帰る。

親族は、本人に悟られないように、いとこの結婚式を集まる口実にする。
ちゃんと真実を伝えるべきだと訴えるアメリカ育ちのビリーと、中国では本人に言わないと反対する家族。

うまくいかない人生に悩んでいたビリーは、逆にナイナイから生きる力をもらう。

案の定、大号泣というか、いつもとは違う意味で過呼吸になった。試写室で鑑賞じゃなくてよかったと心の底から思った。

今話題の映画会社A24の新作であるというところや、同じ中国人家族でもアメリカ育ちと中国育ちで考えが異なるという文化の違いなど、作品として触れるべき見どころは多数あるはずだが、今回は書けない。

おばあちゃんであるナイナイの優しさが俺にとっては暴力に近かった。

ひとつひとつが10年前に91歳で亡くなった祖父を思いだした。

あれから10年間、おじいちゃんおばあちゃんが優しい映画が直視できない。

「リトルミスサンシャイン」は一時停止しないといけない程号泣したし、「ピノキオ」ですらつらい。

感情移入しないように気を付けても、常に孫を心配している、いつでも元気でさらりとためになる事を言う。ナイナイのやさしさがじいちゃんといた日々を思い出し過ぎて涙が止まらなかった。

俺はすごいじいちゃん子だった。

普通、成長するにつれて疎遠になるが、俺の場合は特殊で年を重ねるにつれて関係が強くなっていた。

高校あたりから嫌な事があると、学校に行くふりをしてじいちゃん家にいたし、大学の頃はじいちゃん家が大学から近かった事もあり、週2.3は寄るどころか、学祭など夜遅くまで大学にいることが増える時期はじいちゃんの家に住んでいた。

社会人になり一人暮らしをすると決めた時は徒歩で行ける距離に家を借りた。

じいちゃんは動きも話し声ものっそりしていたが、話す事全てがおもしろかった。

阪神大震災の時、ぐちゃぐちゃになった部屋の中でタバコをふかしていたので、祖母やいとこが避難するように言うと「逃げようが死ぬ時は死ぬ時や」と全く怖がっていなかった。

耳が全然聞こえなくなっていたので「風鈴買ってんけど、音聞こえへんねん。」と言ってた。ちょっと怒ってた。

口癖は「人間88歳を超えたら一気に体力落ちるで」だった。男性の平均寿命を越えているので誰も参考にできなかった。

みかんを口の中に投げて食べる癖があって一度、俺の前でのどを詰まらせた。助けた後にぜぇぜぇ言いながらまたみかんを口に投げてた。「この食べ方じゃないと食べた気しない」という謎の言い訳をしていた。

研修期間住んでいた関東での生活にホームシックになっていると「俺も若いころ遠いとこで働いた事あるけど、爆撃とかないやろ?大丈夫!!」と戦時中のフィリピンでのジャングルの話で元気づけてくれた。

「プライベートライアン」を身を乗り出して観て感想が「ここで戦わんくてよかった」と元兵士の視点で話していた。俺が知る中で一番強烈な感想だった。

人生で一番おもしろかった映画は「マトリックス」だった。

2回徴兵されて65%近くが戦死したフィリピンで生き残っただけあって、「生きるか死ぬかは運」という座右の銘を持っていて、心の穏やかなランボーみたいだった。

精神的に弱い自分にとって、いつも余裕があって達観したじいちゃんには心が開けて何でも話ができた。お互いのんびりしている、人の好き嫌いが激しい、口が悪いという点でもウマが合って本当に仲が良かった。

本作でも余命が短い事を言うか言わないかを家族が議論するが、じいちゃんとの最後の2ヶ月を思い出した。

俺は親父からじいちゃんが長くない事を教えられていたし、じいちゃんも自分でわかっていた。でも最後までお互い「別れ」は触れなかった。

じいちゃんが親父には「いよいよ死ぬわー」と言ってたみたいだが、「●●(俺)に申し訳ない気持ちでいっぱいや」とずっと気にしてくれていたらしい。

最初にお見舞いに行った時、明らかに弱っているじいちゃんを見て耐えれなかった。

じいちゃんの手を握って号泣する俺に、じいちゃんは向かいにいる呼吸器に繋がれた年寄りを指差して「●●、見てみ。わしはあんなんと違うやろ‼︎大丈夫やで。ありがとう。それにしても人間あんなんになったら終わりやな‼︎」とでかい声で言うので「あかんて!聞こえるて!」と俺が笑わせてくれた。(結果、そのお年寄りよりじいちゃんが先に死んだ)

毎週お見舞いに行っていつものように最近会った事を話してるんだけどやっぱり何度か涙が出てくる。絶対泣かないじいちゃんが「いつもありがとう。●●は優しいな」と泣いているのを見て近々別れる日が来るというのが初めて現実になった。

変な話だが、じいちゃんがいなくなるという事が理解できなかった。俺が死ぬまでじいちゃんも一緒にいると思っていた。91歳で高齢だけど他の弱い年寄りとは違う。俺をいつも助けてくれるヒーローだった。

絶対に別れたくなかった。だから毎回「いつまでも病院おったらあかんで。早く退院してよ、頼むで」と言って帰った。

死ぬ前日、危篤になった時も「今までありがとう」と言えなかった。じいちゃんがいなくなる事が受け入れられなかった。小さい声で「ありがとう。心配せんでいい。大丈夫や」と言ってくれたのが忘れられない。

じいちゃんが死んで1年くらいは毎晩泣いていた。
じいちゃんの好物だったオロナミンCとファンタグレープはなかなか飲めなかった。

形見を貰いすぎた結果、俺のアパートはじいちゃんの遺品だらけになって俺がじいちゃんみたいになった。

俺に会った事のある人ならわかるが、俺が冬場に着ているノースフェイスの登山用のダウンジャケットはじいちゃんの形見だ。「この服、こたつの中入ってるみたいやで。ワシが死んだらあげるわ」「絶対貰うわ」と言いあっていたのが現実になった。

しばらく伊丹に住んでいたが、家を買って神戸に戻った。じいちゃんが住んでいた近くで、一緒に行ったスーパーやお店には今も行く。

あれから10年、年々精神面は強くなったように思う。少なくとも誰かに依存することはなくなった。

映画の話をさっぱり書いていないが、ビリーとナイナイのやり取りを観ていると、じいちゃんと一緒にいた24年と10ヶ月の日々が少しだけ帰ってきたようだった。

「淡々としている」という意見を目にしたが、個人的には、口数は少ないけど、気を使わなくていい、親族ならではの居心地のよい空気が好きだった。ただただゆっくりした時間が流れるのが家族の良いところだと思う。

俺もじいちゃんに再会できるなら、昔のようにベランダでタバコを吸いながら炭酸飲料を飲みたい。

なかなか会えていないのもいるけど両親だけでなく親族は相変わらず仲が良い。ありがたい。

交友関係の広さだとか仲良い友達が多いかどうかとかあるけど、俺は家族、親族が一番だと思っている。

というわけで個人的に「フェアウェル」はかなり体力を消耗する映画でしたが、みんなも実家に帰るなり、テレビ電話でもするなりしよう。特に祖父母との時間は大切にしよう。


日本が誇るおばあちゃんの優しさが爆発作品