俺とランボー

今回は俺からランボー宛のラブレターです。

先日、2020年で最も嬉しい事があった。
「ランボー ラスト・ブラッド」の試写を観させて頂けた。

コロナの影響で試写会は完全に諦めていただけにこの案内は突如来た幸運だった。

観たかった「ランボー」の最新作そのものだった。

観賞後は1日早く試写を観ていた”DIE”sukeさんと興奮冷めやらぬまま会話していたのだが、深夜の1時くらいから話初め、気づけば朝の4時半だった。

途中で爆笑したり、感極まっていたりもしたが、いつもの如く内容はほとんど覚えていない。とにかく二人して「良かった。今年一番だ」と何度も言い合っていた。

オンラインでの試写で期間中は何度も観れたので5回も観てしまった。

これだけ観ても何度も感動して劇場で観るのが待ちきれない。

振り返ればランボーと俺の付き合いは20数年になる。

というわけで今回は「俺とランボー」をテーマに少し書こうと思う。

小学校6年のある日、洋画のアクション映画が好きという自我が芽生え始めた頃。
偶然テレビで放送していた「ランボー3 怒りのアフガン」が目に入ってしまった。

筋肉ムキムキの男が弓矢だけで軍隊と戦っている!!

銃で撃たれた傷口を燃やして(!?)止血している!!

おまけに戦車でヘリコプターに突撃している!!

途中から観たにも関わらず、あまりの展開に「とにかくすごい物を観てしまった」となかなか眠れなかった。

「ランボー、おもしろい。スタローン、カッコいい」と熱にうなされていたところ追い打ちをかけるように第1作が深夜に放送されることを知る。

もちろん、ナイフ1本で山中を生き抜き、クライマックスのM60を奪い、弾帯を上半身に巻きつけた姿に狂喜していたわけだが、ベトナム帰還兵の苦悩を描いた内容に子供ながら「ただの銃を乱射する映画ではない!!」と感心した。

映画のストーリーを楽しむ事を覚えたのはランボーだった

その後、「怒りの脱出」「怒りのアフガン」と連続で観て、映画の根底にある「帰還兵の苦悩」「祖国」「戦争」というテーマの深さに頷きながらも、

服役していたはずなのに、1作目から比較して筋肉が増量し過ぎているスタローンや、
「怒りの脱出」ラストで上半身裸のまま地平線へ消えていくランボーに「服着ろや!!」と思わずツッコミんでしまった。

次作「怒りのアフガン」冒頭でもそのまま上半身裸だったので「だから早く服着ろよ!!」とツッコんでしまった。

※おまけに「怒りの脱出」に至っては原題が「Rambo: First Blood Part Ⅱ」だ。「First」と書いておいて「Part Ⅱ」!!すごいタイトルだ。

映画のおかしな内容にツッコミをいれて楽しむという映画鑑賞のべースもランボーシリーズで作られた。

20年後に作られた「最後の戦場」は社会人1年目の時に公開された。当時研修で関東に住んでいたので横浜の映画館で観た。

ご存知の通りシリーズ唯一のR指定作品。一緒に観に行った当時の会社の同期は爆散する人体と血の量にドン引きしていたが俺は

「やっぱりランボーはすごいなぁ!!俺達も社会人だしムダに生きず、何かのために死のう!!」と一人興奮していた。(その同期とはほどなくして付き合いがなくなった)

スタローン作品は「弱者のために立ち上がる」「挫折から再生」がテーマに描かれる事が多いが、ランボーは特に社会人になって心に沁みるようになった。

スタローンは以前このように話している。

「ロッキーは究極の楽観主義者だ。
人を信じて愛し、何かを与える寛大さを持っている。

そのために傷つくこともある。

一方ランボーは究極の悲観主義者。
人間のダークサイドを持ち、残忍で本能的な部分もある」
(ランボー/最後の戦場のパンフより)

補足するとロッキーには仲間も彼女もいるし、人々から賞賛されているが、ランボーは孤独だ。

国のためにベトナムで戦っても愛されることはなかった。

そんなキャラクターだけに自分自身が無力に感じたり、惨めな思いをしたとき最も心にしみる。

うちのめされた者に力強く手を差し伸べてくれる。それがランボーだ。

最新作「ラスト・ブラッド」でも心のナイフを研ぎ闘志を燃やす事を体現していた。

公開したら有給休暇を取得して劇場に飛び込み、グッズを買い漁りたい。国内版ブルーレイが発売されたら定期的に観たい。

子供の頃から、そしてこれからもヒーローだ。

いつだって心の中に「ベトナム帰りのワンマンアーミー」精神は忘れず明日を生きていきたい。(ベトナムには行ったことないけど)