ノンフィクション「ド底辺バンドマン物語」第1回

Once upon a time, I Had a Dream

Now Dream is Over

こんばんは、デッドプー太郎です。

ここ最近、夏風邪を引いたのか調子が悪い日々が続いた。平日は仕事、土日は動物の世話をしてぐったり・・・ブログやSNSを開こうにも疲れて眠ってしまいがちだ。

真夏の熱帯夜がそうさせるのか、疲れた体がそうさせるのか・・・

ネットでは日々「痛い奴」が醜態を晒したり、晒しあげられたりしているが、見ているうちに「こいつらがポコチンなら俺のあの日々なんてチンカスまみれの真性包茎だぜ」と思う。

今のおまえはマシなのか?と聞かれたら「相変わらず泥水を啜っております。」と即答できるが、あの頃に比べると幾分大人になった(現実を知った)と言える。

高校1年生から2014年1月までの約13年間、受験や就職等で全く活動していない時期もあったが、ギタリストとして複数のバンドで活動していた。

高校3年生の夏、体育館でライブをして、大盛り上がり。
「俺の伝説は始まったばかり。俺のロックンロールで世界の音楽シーンに
衝撃を与える!!」と決意したあの日・・・・

今振り返るとあの日が人生で一番大きいステージ&集客だった。

あの日から約11年、俺は自分がスラッシュやジョー・ペリーだと思っていた。

俺はスーツを着てサラリーマンをするのではなく、ライダースジャケットを羽織り、武道館やマジソン・スクエア・ガーデンで爆音を轟かせるのが運命。

本人は至って真剣だったが、客観的に見るとみっともなかった日々について語ろうと思う。

第1回「意識が高いポンコツ」

2009年の秋から2012年の約3年間に在籍していたバンドの話。
(この3年間が一番バンド活動を頑張っていた)

当時所属していたバンドが「不良」のイメージを打ち出しており、音楽性やステージング共にワルなアプローチで活動していた。(海外だとGUNSN’ROSESやMotley Crue、 国内だとZIGGYみたいなのをイメージして欲しい。)

ライブハウスでタトゥーだらけの男たちから「おまえらカッコいいな!!」と声をかけられたりしていたが、趣味は映画鑑賞とプラモデル作り。「不良」成分は皆無の俺、 その場では「おぅ、ありがとな!!」とクールに返していたが、心の中では「カツアゲされませんように・・・」とビビリちらしていた。

(とはいえ、この頃でタトゥーだらけの兄ちゃんと仲良くなり今も付き合いが続いている人もいる。というわけでタトゥーへの偏見というのは一切なくなった。)

今考えれば当然だが、この時代にハードロックなんてしていたら、アンダーグラウンドから抜け出せない。(好きな事をすることはもちろん大切だが、食っていくことを考えるならある程度マーケットの広いところを狙うのが重要だ。)

ライブに来てくれる客が集まらないという事で四苦八苦していた。

※日本のライブハウスというのはノルマ制で一定人数分のチケットは必ず捌かなければならない。一定人数分を超えるとそれ以降はチケット代の何割かがバンドにバックされる仕組み。

俺のバンドはノルマすら捌ききれず、自己負担。高い出演料を払ってライブに出ていた。
※なので、今活躍しているバンドは演奏や楽曲の良さだけでなく、集客でも尋常じゃない努力を間違いなくしてきている。

俺の大好きなロックバンドは一度ライブをすれば億単位の金が動き、ギターメーカーから自分モデルのギターが出る、おまけに楽屋には女がわんさか・・・・現実は「サーバー代払ってよ」とホームページを作ってくれていた友達が金の催促に来ているだけだ。

このままじゃダメだ!!というわけで大学時代に学んだマーケティングを思い出してマーケティングの理論を実践してみた。

なんてアカデミックかつロジカルな思考なんだ・・・と思っていたが、見事に失敗した。

以下はそんな大事故に近い失敗エピソードだ。

【1.誰もいない名ばかりの「大トリ」】

いつまでもパンクやロックのイベントばかりに出演しているからダメなんだ!!という事でライブハウスが主催するオールジャンルのイベントに参加した。出番はなんと大トリ!!

出演しているバンドも女子高生や女子大生のバンドなのでお客さんも若い子ばかり!!

いつものように鋲のついた革ジャンや金髪の連中だけじゃない!!やった!!そして個人的にも仲良くなりたい!!

という事で最高に張り切っていた。

「へー、○○大学なんだ、みんな同じ部活?よかったら終わってから飯食いに行こうよ」と音楽そっちのけで女にがっつく俺たち、会話も盛り上がっている。後は最高に熱いロックで終電を逃させるだけだ!!

しかし、俺たちがステージに上がる頃には「門限があるから」という理由でそれまでたくさんいた女の子達は皆帰っていた。

夜10時頃、大トリとは名ばかりで10人にも満たないガラガラのライブハウスで俺達のライブはベースの音が途中から出なくなる事故付きで終わった。

【タダでも捌けないCDと失う信頼】
いちびって本格的なスタジオを借りてCDを作った。(今も家の押し入れに残っている)

多くのロックキッズにCDを買ってもらいたい。

ライブハウスや楽器屋にCDを置いてもらって販売経路の確保や当時流行っていたMYSPACEなどSNSを使った試聴サイトを作った。

最初の1週間こそ各メンバーの数少ない友達が買ってくれた、友達全てに流通した時点で売り上げは案の定ストップ。お店やネットショップからの注文は半年で1枚のみ。

程なくして500円から200円、やがて無料とプライスダウンさせたが、500円で買った友達から反感を買うだけだった。

【フライングパイナップル】

ライブハウスやCDショップ、練習スタジオにビラ配り、twitterやブログで告知しても、動員に結びつかない。友達にメールで宣伝してもそのうちウザがられる。

客どころか友達まで減ってくる。

当時レディ・ガガが売れてきた頃だったので、「何か革新的な事をしよう!!」と考えた結果・・・

ボーカルが知り合いのおじさんからたくさんもらったらしいパイナップルにバンド名を書いて演奏中に投げた。

ライブ中に宙を舞うパイナップル達、そのままのパイナップルはトゲトゲのついたただの凶器だ。

後でライブハウス側から死ぬほど怒られただけだった。

「どうして人気が出ないんだ!!僕たち頑張っているのに!!」と悩んでいたが、肝心の「曲や演奏能力が致命的に欠けている」という事には気づかないまま泥水をすするような日々を続けるのだった。

★ノンフィクション「ド底辺バンドマン物語」

第1回「意識が高いポンコツ」

第2回「出口の見えない暗闇」

第3回「暴走する散財」

第4回「インフィニティ・ドツボ」

第5回「エンドゲーム」