第5回「エンドゲーム」
ボーカルが脱退したのが2011年の9月末。
その後バンドは猛スピードでドン底に落ちていき、2012年の頭にはバンドは崩壊状態だった。
ベースは「今の仕事をやめて田舎に帰って働こうか考えてる」と言いだすようになり、ドラムに至っては大学を出てからずっとフリーターを続けている事で両親との関係が深刻に悪化し、就職活動をするもことごとく不採用。28歳までフラフラしていた事のツケを味わっていた。
心も病んでしまい「バンドを続けていたのは就職から逃げていたというのもある」とカミングアウトする始末。
そんな中で何とかモチベーションを上げようと3人体制でのCDを発売し、それに伴う自主イベントを企画する事にした。
時間を作っては新曲のレコーディング。(このレコーディングについては出来はともかく俺が好き勝手にやれたので思う存分自分の音楽を追求できた。この時期の数少ない良い思い出だ。)
ライブハウスへの挨拶と打ち合わせ。
出演してもらうバンドのライブに出向き挨拶。
神戸~心斎橋へのCDショップやスタジオ、楽器屋へのビラ配りと地道な作業を続けた。
そしてやってきたイベント当日、神戸で最も熱いロックンロールナイトが始まる!!
出演5バンド(総勢18人)に対し、来客数15人、売れたCDは2枚だった。
夜中の1時頃だろうか。
ドラマーから「明日から現実を見て真剣に就職活動するからもう抜けたい」
と切り出され、バンドは解散した。
(その2か月後、ドラムが他のバンドでライブに出ていた事がわかった。本人曰く
「どうしても断れないイベントだった」といの事だった。これを最後に今日に至るまで会話はない。)
俺自身も少しづつ自分の心境に変化があった。
解散の少し前、「俺の音楽性はバンドだけじゃ表現しきれない」とバンドで採用されなかった曲のデモをインターネット上で発表していた時期があった。
ある日、インターネットに曲をアップした所、再生回数が1か月で12回(内9回は俺がアップロードできているかチェックのための再生だった)
「俺が音楽で成功しないのはマーケティングがどうのこうのじゃない。センスがない」という問題の本質に気づきつつあった。
その後、大学時代の友人達と組んでいたバンドを再結成した。
最初こそ同窓会的な「みんなで楽しくやろうよ」的なノリだったが、他メンバーが掛け持ちしていたバンドをやめてまで本気で取り組むようになった。
既にバンドマンとしてのプライドを情熱も失ってしまっていた俺と他メンバーとの間で距離が生まれ始めた。
このままでは人間関係まで悪化する。でももうバンドを真剣にする気力はない。
早い段階で脱退を告げたが、バンドのスケジュールもあり体制が整うまで残る事にした。
モチベーションが低い中で続けることは厳しい。
もう曲作りには一切タッチしなかった。
残されたライブをこなすうちに
「どうせ俺達の音楽は広まらない。そもそもギタリストが何故ギターを弾かなければならないんだ?」
とヤケクソになっていった。
全く演奏せずにダンスを始めたり、曲に合わせて思いつきでラップをする。
演奏中に楽屋に戻りギターの代わりにライトセーバーのおもちゃを持って振り回すなど無茶苦茶なことをしていた。
ギターはもう一人いたので俺が演奏を止めても音楽的な支障はなかった。
そんな取り乱した日々を過ごすうちに
「あいつ(俺)のパートって何なの!?いるの!?」
「よくわからないけどおもしろい」
と皮肉にもバンドが少し注目を浴びるようになり集客も少し増えた。
やがて全く演奏しない曲も出てきた。
「俺のパートはギターじゃない。スタジオ予約係だ」と言うようになった。
しかしバンド内で「このままじゃあいつのせいでコミックバンド扱いだ」という空気が徐々に出始めて新体制を大急ぎで整えようとする動きが活発化した。
そして2014年1月。俺はバンドマン生活を終えた。
中3の頃にギターを触って以来、「俺の人生はロックしかない」と生きてきたので不安だったが、インコのチャー子を飼い初めて動物が好きになり、映画好きの友達に見せるために感想のブログを書き始めたら結構楽しかったので、喪失感はなかった。
ブログの更新が増えていきその後ビーパワーハードボイルドが生まれた。
バンド活動を辞めてからの方が人生の楽しみが増えた。
俺のバンド活動を振り返ってみてただただ「努力」が足りなかったと思う。
例えばライブハウスはノルマ制というのがあり、一定枚数のチケットを捌けないとバンドは自腹になる。
集客力のないバンドだった俺たちはギャラが出るどころか毎回3万円近い金を払ってライブに出ていたので「何故演奏する側の俺らが金払わないといけないんだ」と怒っていたが、当たり前だろと思う。
ライブハウス運営のための経費を考えたらまだ1バンドあたりのノルマが2~3万円は安いものだ。
俺がいたバンドに限らず、ノルマどころかチケットが1枚も売れていない。客がいたとしてもメンバーの彼女か友達だけ。
集客のために対バンで知り合いになったバンドのライブや飲み会に行きまくって顔を広げている人もいた。
「バンドマンじゃなくて営業マンやんけ、音楽で集客しろよ」とあまり良くは思っていなかったが、ライブハウスに対する最低限の礼儀としては偉い。
音程の合っていない歌と楽器で曲を演奏し、身内ネタのMCだけをする。フロアには客が数人。社交辞令の拍手。
当時は「どうして俺はいつまでもこんな所で這いつくばっているんだ!!」とみじめな気分だったが、そりゃそうだ。
演奏のレベルが低いままだし、そんなバンドを見に来てくれる人なんているわけがない。自分達自身が魅力のある人間じゃないからコネも人脈もできるわけがない。
当時は自覚できていなかったが、俺もバカにしていた連中と同じカラオケ大会レベルだった。
ド底辺バンドマンだった。
今から10数年前、両親が大学の頃の同窓会に行ったら部活で後輩だった方が「息子がバンドばっかりしてて勉強しない。」とぼやいてたらしい。
うちの両親も「うちの息子も同じくバンドばっかりやわ」と言っていたそうだが、2,3年前に会ったらこんな返答がその息子が「一応プロのバンドで活動している」と言ってたらしい。
母に「で、その息子さんやけど、なんてバンドで活動してんの?」って聞いたらこんな回答が返ってきた。
「私詳しくわからへんねんけどONE OK ROCKって言うらしいわ」
★ノンフィクション「ド底辺バンドマン物語」