今年は空前のマーベル祭だ。
「スパイダーバース」がアカデミー賞を受賞したと思えば「キャプテンマーベル」が公開。
そして「アベンジャーズ:エンドゲーム」は映画史の興行収入記録を塗り替えようとしている。
そして興奮と感動の涙が乾かないうちに「スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム」が来週(6月28日)に公開される。
勢いが衰えるどころかますます盛り上がりを見せるマーベルだが、新作が公開されるたびに 「原作コミックも読んでいないと真のファンじゃねぇ!」という新規ファンを極度に嫌う老害&キッズ達の不毛な争いが繰り広げられる。
「こいつら読んだアメコミの数しか自慢できるところないんだろうなぁ!!きっしょ!!」と思う一方で知識が増えると楽しみ方も増えるのは確かだ。
あれは1年くらい前だろうか。確か高木君が大阪に来た時だ。
(※高木君がわからない人はwikipediaで調べてみてくれ。出てこないから!!)
クロスオーバーに行ってもアメコミを読まずヨタ話だけして終わる俺だが「ビーパワーでアメコミ作品はよく取り上げるし、俺もきちんと原作を読もう」という事で一気に購入した。
スパイダーマン(池上遼一版)を。
国産スパイダーマンといえば、
家の中で平気でバイクを吹かすバイクレーサー山城拓也が
・車検ガン無視の車=GP7
・初見殺しロボ=レオパルドン
でモンスター教授率いる鉄十字団を虐殺
自ら「地獄からの使者」と名乗るなど気持ち良いほど「親愛なる隣人」をド忘れした東映版スパイダーマン(1978年~1979年)があるが、8年前の1970年に
池上版スパイダーマンは連載された。
1970年といえば万博が開催された明るいニュースの裏で、よど号ハイジャックやビートルズの解散、三島由紀夫の割腹自決など、暗い事件も多かった年。
それまでのアメコミといえば和訳したものだけだったが、本作は初の日本独自の解釈で作られたオリジナル作品。
アメコミの代表作が日本でどう生まれ変わったのだろうか?
主人公小森ユウはごく普通の高校生。
勉強はできるがスポーツはさっぱりでさえないという点ではピーター・パーカーと似ているが、放射能制御ができる実験装置がある高校に通っている点では本家よりアメイジングだ。
放射能の影響を受けたクモに噛まれてスパイダーマンになるところは同じ。
連載当初こそエレクトロ、リザード、ミステリオと言ったお馴染みの
ヴィランが登場するのだが、世間からのスパイダーマンへのバッシング、最初のヴィランだったエレクトロの悲し過ぎる背景などから「大いなる力には大いなる責任が伴う」事をベンおじさんいらずでビシバシ感じる小森君
結果、内気な小森君は3戦目のミステリオ戦にて壊れ始める。
「親愛なる隣人」という設定をド忘れした瞬間。
その後の小森君が秘める心の闇が爆発する。
エロいことばかり考えてしまう小森君、健全な男子なら当たり前の事だが、
ガラスのハートのオーナーである故に・・・
夜中に家を飛び出しヒーローとは思えない発言を連発する。
「俺は世界一強い男」
「その気になれば全世界を征服できる」
「みすぼらしいちっぽけな人間どもよ」
現代でも夜中に不満をツイートする奴はいるが、東京タワーのてっぺんに上り人類全体にケンカを売るのは小森君だけだろう。
一発抜いてすっきりした後で深刻な賢者モードに突入。めんどくさい、めんどくさいぜ!!
病んでいるのは小森君だけじゃない。本作におけるグウェン・ステイシーポジションのルミちゃんは田舎から出てきた純朴な少女から一転、夜の街で働き始め不特定多数の男と絡むようになる。(そして死ぬ)
この世界でのスパイダーマンはさっぱり愛されていない。
テレビでの名物司会者は酒を浴びてスパイダーマンをちんどん屋扱い。
時代がそうさせたのか、というか池上遼一の世間への不満がたまり過ぎていただけなのだが。
「親愛なる隣人」改め「修羅場へといだてん走りにかけつけるケンカ好き」が爆誕!!
新幹線と並んでいる事から推定時速270kmのいだてん走りだ!!
ヴィランも超能力を持った者ではなく学生運動の首謀者や裏街道に生きる若者、ベトナム帰還兵、などへ変貌。
マルチ商法の広告で是非とも使って欲しい名文句。
男に弄ばれ強力な怨念を持った女がヴィランである第8話「冬の女」の一コマ。
おまけにこの後「フェミニストぶってつと女は図に乗る」とまで言い切る。現代であれば2秒で炎上するワードの参考書かと言わんばかりだ。
少年向けコミックで本作以外で目にする事はないパワーワード
「都会の濁流に飲まれた女」
ちなみにヒロインのルミちゃんや冬の女に限らず、池上スパイディーに出てくる女性陣はメンヘラ、ヤク中、奨学金の支払いのために売春などハードなスペックなので
「汚いブタ野郎にだって抱かれてやる」
「あたしを抱きたいのならたんまりお金を持っといでよ」と言ったセリフも言うことばがビシバシ飛び出す。
最終回ではもはや変身すらしない小森君。すっかりスパイダーマンである事する忘れている。
池上遼一も書きながら忘れかけていたのだろう、唐突に背景にスパイダーマンの顔を書きまくる事で一大事を逃れているが、セリフは
「虎よ暴れろ!
非道な強者どもを咬み殺せ!
弱者をむさぼり食らってこえふとった強者に血の支払いをせまれ
殺して殺しまくれー!」
だ。
全13話。非常な世界が、都会の濁流が小森君を変えてしまった。
東映版スパイダーマンが「アメリカが生み、日本でグレた!!」なら
池上版スパイダーマンは「アメリカが生み、日本で病んだ!!」作品
スタン・リーは「絵は迫力はあるが、少女が少年達に襲われるシーンがあるのは我々としてはありえない。(日本と米国で作品の評価の基準が違うので)コメントできない」と言っていたそうだ!!
「親愛なる隣人」が「みすぼらしいちっぽけな人間どもよ!!」とまくしたてるのだからそうだろうなぁ!!
もし、トム・ホランドではなく小森君がMCUのスパイダーマンだったら、トニー・スタークも確実に距離を置いていただろう。
とはいえ、スパイダーマンという素材をベースにヴィランを強力な能力を持った者ではなく人間の汚さに置き換えたところはアメコミとは違う意味で読みごたえがある。
オリジナル過ぎるの池上遼一版スパイダーマン、全5巻なので是非とも読んで欲しい。オフ会で同じアメコミ好きに話してみるときっと言われるだろう。
「もっと他に読むのがあっただろ」と。