ゴジラVSコング公開前企画 キングコングインタビュー

コロナウィルスにより公開延期を重ねていた「ゴジラVSコング」

延期に延期を重ねた日本でも7月2日(金)にもようやく公開される‼︎

他国ではすっかり公開も終わりブルーレイも発売、劇場公開より先にソフビが発売されて盛大にネタバレなど我々日本人としては辛い状況ではあるが、ビーパワーハードボイルドではエージェントを通じゴジラに続きキングコングのインタビューにも成功!!

海外での大成功もあり、かなりリラックスした様子のキングコング。

苦渋をなめ続けた日本のファンのために「ゴジラ対コング」だけでなく彼自身のキャリア、
怪獣と呼ばれてきたことへの葛藤など赤裸々に語ってくれたぞ!!

それではキングコング独占インタビューについて楽しんで欲しい。

ー今日はよろしくお願いいたします。ミスターコング、まずは「ゴジラvsコング」の大ヒットおめでとうございます!!ー

キングコング「(日本語で)ドモアリガト!!
ビーパワーは俺のブラザーじゃないか、ミスターコングなんて呼び方はやめてKKでいいよ!!

ーありがとうございます。KKはどのようにお過ごしですか。ー

キングコング「基本的には髑髏島でのんびり過ごしているよ。

covid-19のおかげでハードな日々が続いているよね。本当にチャレンジングな時だ。

でも悲観しないでくれ。バッドハプニングも笑い飛ばせるようになれば人生はより豊かになるんだよ。

今までの俺はニューヨークとロスを往復する日々だったが、髑髏島からZoomでカンファレンスに参加できるようになったのは大いなる喜びだね。」

ーそれではまず「キングコング対ゴジラ」についてお話頂ければと思います。出演にあたっての経緯を教えてください。ー

キングコング「ハリウッドのエージェントさ。日本を舞台にした映画に出ないか?とオファーされたんだ」

ーゴジラさんの事は以前からご存知だったのでしょうか?ー

キングコング「当時は知らなかったんだ。「Oh,日本で映画だって⁉︎サムライやニンジャと戦うのかい?」と聞き返したのを思い出したよ(笑)。

彼についてはオファーを受けてから「ゴジラ(1954年)」と「ゴジラの逆襲」を見たんだ。
とてつもない才能を感じたよ。

ただ、当時の彼はまだ何者でもなかった。

俺は既に名の知られた存在だったから才能豊かなサムライアトミックボーイにチャンスを与えようと思ったよ。

ー撮影は日本でしたが、日本での印象はありますか?ー

キングコング「フジヤマ、スシ、スキヤキ…オリエンタルなカルチャーに日々エキサイティングしたよ‼︎」

ーゴジラさんとの初対面はいかがでしたか?ー

キングコング「声をかけたんだけどそっけなくてさ。俺に対して対抗意識があるのがわかったよ。とはいえ悪い気はしなかった。とにかくハングリーだったよ」

ー撮影はいかがでしたでしょうか?ー

キングコング「ミエはビューティフルだったよ。彼女こそアジアンビューティだったさ。
また会いたいね。

日本のチームの映画作りのスキームはプロフェッショナルだった。

当初は撮影も順調だったんだけど・・・少しずつおかしな事が起こり始めたんだ」

ーゴジラさんですか?ー

キングコング「そうなんだ。エージェントからは俺がベイビーフェイスでゴジラがヒールという台本だと聞いていたんだが…

Gボーイ(ゴジラのこと)がアクションシーンの時だけ台本を無視して俺にかかってくるんだ。これがなかなか痛くてね。

最初こそ「撮影にはアクシデントはつきものさ!!また特典映像が増えたぞ!!」と笑っていたんだがどうもわざとじゃないかと思うようになった」

ー怪我が多かったと聞いていますー

キングコング「俺は普段からトレーニングしていたし、ケガにはなれていたけどね。

彼はチャンコを過剰摂取したスモウレスラーのような体をしているだろ?

おまけにあの放射火炎さ。1stラウンドではプロフェッショナルであることに徹底するも戸惑いを隠せていない俺がフィルムに刻まれているよ。」

ーそして問題の2ndラウンドですー

キングコング「(恥ずかしそうに)お尻から着地しちゃったのは本当のハプニングだったよ。

Gボーイが何かしかけてくる事は想定していたが・・・・限度が過ぎたよ。

生き埋めにされたあげく放射火炎で燃やされた時に俺のアンガーマネージメントは営業終了さ。「クソガキにお仕置きが必要だぜ!!」と殴りつけてやったよ。

その後は皆もご存知の通り、熱海が地図上からロストしたんだ!!」

ー当時を振りかえってみていかがですか?ー

キングコング「あの現場での緊張感が作品にグレイトなエッセンスを加えた事は否定しないし
セールスも素晴らしかった。

ただ、もっとうまくできたんじゃないかと思う事はあるよ。

実際、日米のアライアンスがうまくいっていなかった。
イニシアチブの取り合いさ。

当初はポジティブに働いていた緊張感も単なる敵対意識に変わっていた。
最後の方はリスペクトが欠如していた。コミュニケーションブレイクダウンだよ。

あの状況じゃ良いものは生まれないよ。」

ーその後もKKは日本で「キングコングの逆襲」に主演されましたが、あの時はいかがでしたか?ー

キングコング「本来であれば「南海の大決闘」にも出る予定だったんだが、まだ俺もアメリカのスタッフもネガティブな気分でね。キャンセルしたよ。Mr.エビラには申し訳ない事をした。

「キングコングの逆襲」は素晴らしい思い出さ。トラブルメイカーはいなかったからね(笑)
ゴロー(ゴロザウルス)とMK(メカニコング)とは今もいい友達だよ。
ヒデヨ(天本英世)は真のジェントルマンだった…彼の魂に神のご加護を。

ーその後はまたハリウッドに活動の拠点を戻されましたが出演本数が少なかったのは何故ですか?-

キングコング「シンプルさ。エゴの問題だよ。」

ーエゴ・・・ですか?-

キングコング「あぁ、俺はKAIJYU(怪獣)と呼ばれる事を快く思っていなかった。俺はアクターだというプライドがあった。

だから数多くのモンスターパニック映画を断っていたよ。

人々が求めるのは街で暴れるマッスルコングなのに俺はマーロン・ブランドやポール・ニューマンになりたかったんだ。

70年代から40年近く俺はパブリックイメージとの折り合いに悩み続けていた。」

ーゴジラさんとの再会は98年のエメリッヒ版の時ですよね?ー

キングコング「あぁ。そうだよ。彼がハリウッド進出した時さ。

ハリウッドの映画作りに馴染めない様子だったし
日本のファンからも「引退詐欺」「日本を捨てた」と叩かれていたみたいだった。

彼はひどく消耗していたよ。すっかり痩せこけてマグロばかり食べていた。

とはいえ過去のいざこざは水に流して素晴らしいフレンドシップを築けたんだ。」

ーゴジラさんの最も好きな作品は何ですか?ー

キングコング「ゴジラ(2014年)だよ。あの作品には彼の傷だらけの日々が詰まっている。

また日本に拠点を戻したが50周年の映画「FINAL WARS」はビジネス的にうまくいかなかった。
あの時の彼のキャリアを考えるとあのまま隠遁生活という選択肢もあっただろう。

しかし彼は逆境を見事にはねのけ、カムバックして見せた!!

あの作品に俺もインスパイアされて「髑髏島の巨神」が生まれたんだ!!」

ー「ゴジラ対コング」でゴジラさんと59年ぶりの共演はいかがでしたか?ー

キングコング「最高の時間を過ごせたよ。撮影中に食事を共にしたのは初めてだったね(笑)
とはいえ、映画作りは本気だ。空母の上での殴り合いは最高だったね!!」

ーゴジラさんも「歯が折れた」と言いながら嬉しそうでしたよ!ー

キングコング「(笑)。撮影中はわざと彼を挑発したよ。
「君が今キング・オブ・モンスターズと呼ばれている事は知っているよ。
でも俺からしたら今でもボーイさ!!」ってね。

撮影後は二人して毎日病院に直行さ(笑)!!」

ーあなたにとってゴジラさんとはー

キングコング「決して仲が良いわけでもなく、いがみあった時間の方が長いが・・・リスペクトしているよ。彼は俺と違って「怪獣」である事に拘り続けた。

ハリウッドで挫折しても彼はすぐに日本で映画を作った。。

「子供向け」「時代遅れ」と陰口を言われてもストイックに取り組んだ。

とっとこハム太郎と一緒に仕事した過去があるから今の彼があるんだ。

彼のキャリアは彼だけでなく「怪獣」というカルチャーを飛躍させたんだ。

彼はまさに怪獣王さ。

ー鳥肌が立ちました!!7月2日の「ゴジラVSコング」の公開が楽しみです!!ー

キングコング「日本のみんな、いつも応援してくれてありがとう。君たちのサポートに
とびっきりの感謝と愛を。パーティーの準備をしておいてくれ」

キングコングさんありがとうございました!!